お葬式について

葬儀は、昔にさかのぼるほど時間も労力も掛かっていました。

 

現在の葬儀は開式から出棺まで1時間です。

その中で、お棺の中にお花を入れたり、出棺の直前に故人と対面する

お別れの儀が20分ほどあります。

 

現在は菩提寺(付き合いのある寺院)が無い方からの依頼が主で

一般参列者の居ない、親類や近しい友人で執り行う

家族葬と言った形の葬儀が多くなっています。

 

家族葬と言った形の葬儀なので僧侶一人です。

 

そして、一人の僧侶として40分の中で何を重視するか色々考える事があります。

 

複数の僧侶で執り行う葬儀はある程度、簡略化した形であれ、合わす必要もあり

従来の死生観を重視した形の葬儀になります。

 

どう言う意味かと言えば、死者は怖い存在で速やかに良いところに

送りとどけるのを重視しています。昔話で言われる『迷わず成仏して下さい』とか

棺桶のふたを釘で打ち開かないように、出棺する時、くるくる回して帰って来ない

様にする、などの風習です。

 

今の身内の葬儀で故人様に対して抱く感情は、恐れる存在では無い様に思います。

何時でも近くで見守って下さい。そう言った気持ちを感じます。

もちろん家族葬なので、親や祖父母、配偶者と言うのも大きいと思います。

 

真言宗の葬儀で重視している事の中に故人様をお大師様の弟子にする、と言う

部分があります。印や真言などを伝え、血脈(お大師様から弟子、その弟子、、

伝播の系統を書き上げたもので最後が故人様の戒名、その前が葬儀を執り行った僧侶)を渡します。

 

故人様を速やかに良いところに送りとどける事を最重視すれば読経も駆け足になります。

死者は恐れの対象であったので葬儀での読経の位置づけも

速やかに良いところに送りとどける事です。

増してや一人でおこなう分、読経の比率は下がります。(速く読む様になる)

 

現在の死生観である故人様は怖い存在では無く、見守ってくれる

存在であり、伝授(弟子にする)を重視すれば不十分な部分も出てきます。

 

柔軟に解釈すれば葬儀での読経も、故人様を同じお大師様の弟子として接して

伝える事(伝授)を重視すれば

我々が師僧から教えられた読み方が相応しいとも言えます。

それは、お経は一定の速度で、速くも遅くも無く丁寧に読む、と言う教えです。

 

お経を丁寧に読む(教えられた読み方を伝える)分、他が

疎かにならない様に、故人様には諷誦文、血脈、散華、土砂、枕幡など

お渡ししています。

 

40分と言う時間の中で出来るだけ喪主様を始め

葬儀の参列者様に寄り添った葬儀が執り行えるように

努力しています。

 

お布施の金額に付いても同じように寄り添った提案が出来る様に

しています。

 

お問い合わせ頂けば幸いです。  合掌